観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

雑感:「進撃の巨人」と「尊厳CITY福岡」構想の挑戦

今日は、とっても個人的な雑感。

 

私は、「進撃の巨人」の世界観が好きです。

人間が巨人に食われる場面でかなりエグい描写もあるため、女性にはあまり好まれないかもしれません。

が、世界観の設定と、その中のキャラクターの意志が好きです。

 

なぜなら、今私たちが行きているこの現実世界と重ねて、その中で人間がいかに生きるべきかという、「心の構え」を感じるからです。

 

その「心の構え」を別の言葉で言うならば、それこそが「尊厳」に他なりません。

物語の設定として、閉ざされた三重の壁の中でずっと生きてきた人類は、巨人に支配されていることも知らず、日々を平和に生きています。

 

オープニングテーマ曲では、その状態を指して、「家畜の安寧 虚偽の繁栄」と歌っています。

 

真実から目を閉ざされ、耳を塞がれた状態で、支配の中の安寧と繁栄を楽しむ日常。

 

しかし、そのかりそめの平和は、ある時を境に一転して絶望的な恐怖へと変わります。

巨人の支配を気にも留めずに無関心で暮らしていた人々は恐れおののき、逃げ惑い、そして、巨人に食われて命を落として行きます。

 

人間の生命は虫けらのように踏みにじられ、そこに人間の尊厳性がかえり見られる余地などは、ほんの1ミリたりとも感じられません。

 

巨人に支配されている世界の秘密を何かしら知っていても、その中で自分のエゴを満たすことに汲々とする人もいます。

 

そんな世界の偽らざる実情をよそに、目先の小さな欲望に執着する人もいます。

 

あるいは、あまりに強大な巨人の存在に対して、あきらめと無力感で尊厳を放棄する人もいます。

 

そして、巨人に立ち向かおうとする人々をあざけり笑い、無駄な努力だと冷笑し、勇気を持って戦い死んだ命を冒涜する人もいます。

 

そんな中で、支配の壁の中に留まることを潔しとせず、閉ざされた壁の外へと勇気をもって進撃し、巨人と命がけで戦う人々がいます。

 

物語の中では、それを「自由」のための戦い、と描いています。

が、私にはそれが、自由よりもさらに奥深くに眠る、「尊厳」のための戦いに見えてしまうのです。

 

今私たちが生きているこの現実世界も、強大な巨人の支配の構造の中に置かれています。

金融資本も、日本の支配権力も、自民党政権も、私からすれば、人間の尊厳、日本の尊厳を破壊して歩く巨人のようなものです。

 

それに対して戦う意志を持つことは、意味のないことでしょうか。

 

私はそうは思いません。

 

決してあきらめず、不屈の精神で戦い続ける意志があれば、いつか必ず尊厳が輝く時を掴むことができるはずです。

 

その戦いは、憎しみや対立を生み出すものではなく、大きな大きな愛と尊厳の意志で、巨人すらも包み込んで、共により高い次元へと進んでいく戦いです。

 

始めはその意志が小さな一歩に過ぎないとしても、それは必ず、人類社会にとっての大きな進撃となり、世界を変える力になります。

 

そんな勇気をくれるので、私は「進撃の巨人」が好きです。

 

あと二日で終わる福岡市長選、「尊厳CITY福岡」の挑戦も、小さな一歩の挑戦に過ぎないと見る人もいるかもしれません。

しかしいつか必ず、それは歴史を大きく変える偉大な一歩であったと認識される未来がくることを、私は確信しています。

 

折しも、「進撃の巨人」の劇場版が上映されるとのことで、そのCMがあったので、ぜひご覧ください。

 

たった1分半の内容ですが、始めから終わりまで、その中のメッセージのひとつひとつが、私の心には深く入ってきます。

 

なぜ、あえて支配の壁の外にでようとするのか。

主人公のエレンが、その問いに対して爆発させる、尊厳の意志があります。

 

いつかきっと尊厳の翼が羽ばたく世界に向けて、進撃し続けていくこと。

その道を、胸を張って堂々と、仲間たちと歩み続けたいと思います。

 

以上、私のごく個人的な趣味と雑感でした。

 

最後までお読みいただいて、どうもありがとうございました。


劇場版「進撃の巨人」前編〜紅蓮の弓矢〜 予告編 - YouTube