観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

安倍政権のメディア圧力の報道を聞いて、福岡市長選のNHK報道で思ったこと

安倍政権が要求するメディアの「公平中立」

 

衆議院選挙に向けてのテレビ報道で、安倍自民党がテレビ局に圧力をかけているのではないかという一部報道が話題になっています。

 

公平中立な報道を確保するように、との主旨だそうですが、実際は与党に都合の悪い報道に偏らないようにさせる政治圧力だと批判されています。

 

メディアの報道は民主主義の意思決定プロセスと政治文化の成熟にとって非常に大事なことなので、今日は少しその話を。

 

というのも、私自身も二度選挙に関わる中で、メディアの報道姿勢に対して大きく疑念を持ったことがあるからです。

 

私ごとですが、四年前に福岡市長選に出たときは、選挙前のテレビでの公開討論会にも呼ばれず、投開票日も全くメディアは来ませんでした。

 

テレビの公開討論は8人中6人が招かれ出演していたのですが、ぽっと出てきてそれだけ力不足だったし、注目されるような存在感を示せなかったからだろうと言われれば、それまでかもしれません。

 

私が挑戦した時は特に、内海は特定の宗教団体の支援と意向を受けた候補者だという誤解と誹謗中傷がだいぶ広められていたので、穿ってみればそれも影響していたのかと思わざるをえないこともありました。

 

ただ、特にテレビの場合は限られた時間の尺の中で、視聴者に分かりやすく要点をしぼった報道をする必要があるのでしょう。候補者が多いときや主義主張がコンパクトでないときは、報道しづらいのは実際あると思います。

 

2014年の東京都知事選でも、16名が立候補届けしましたが、その全員を公平中立に報道したわけでもありません。

 

現実的には、政党の公認候補や、知名度、話題性、政治実績、ある程度の得票数が見込める人が取り上げられることがほとんどでしょう。

 

報道時間や取材人員、機材といった現実的な理由や、報道の自由、編集権などということも考えると、一概に批判することも難しい実情は、理解はできます。

 

候補者の人数が多く、また視聴者、有権者からみて報道価値が低いと報道局側が判断したら、「泡沫候補」と見なされてしまった人はカットされてしまいますが、問題は、これは「公平中立」と言えるのだろうか、ということです。

 

これは現在の日本のメディアと政治文化からすると、とても難しい問題だと思います。

 

しかし、既存政党や既得権益層、権力者にとって都合のよい報道スタイルになっているならば、客観的にみて、それが「公平中立」だとはどうしても言えないでしょう。

 

自民党が「公平中立」をもし要望するならば、自分たちにとって都合の良い「公平中立」ではなく、日本の政治文化全体の底上げのための「公平中立」を、いついかなるときも要求し続けてこそホンモノだと思います。

 

そうでないとしたら、ただのご都合主義的圧力と言われても仕方ありません。

 

また特に、公共放送を謳っているNHKの場合は、他の民間放送局と事情が違う責任があると思います。

 

スポンサー企業の意向や視聴率中心での番組編成が求められる商業メディアならいざ知らず、公共放送を謳っているNHKが、公平中立な政治報道をしないのは原則から見ておかしいはずです。

 

NHKについては、実際に今回の福岡市長選でも、非常に残念なことがひとつありました。

 

福岡市長選の開票後の大川ともゆきさんのNHK報道のあり方

 

何かというと、NHKの開票後の候補者インタビューの映像の中で、六人の候補者のうち、テレビに流れたのは五人だけ。

大川ともゆきさん一人だけは映されず、もちろん取材にも来ていませんでした。

 

担当者の言い分は、政治実績で判断した、とのことだそうですが、選挙期間中は過去の実績に関係なく取材に来てくれたのに、投開票日は過去の実績次第で取材はしないという二重基準は一体何なのか、私は首をかしげざるをえません。

 

候補者は、投開票日に有権者の信を問うために、選挙期間中、人生をかけて必死のメッセージを発し続けます。

 

そのゴールの日が投開票日で、勝つにせよ負けるにせよ、そこがまた新たなスタートにもなります。

 

過去の実績だけで判断して報道からカットするのなら、これから新しく挑戦しようとしている人には常に、投開票日は全くフォーカスしないということなのでしょうか。

 

投開票日は、有権者、視聴者から見ても一番注目する日なのに、その日の報道から排除されたら、何も最後の印象に残りません。

 

そこから新たな挑戦をしようという人の想いもメッセージも、報道局の恣意的な判断によって、伝わらないまま終わってしまいます。

 

この仕組みでは、今まで通りの旧い政治の枠組みが変わることがありません。

ひとつは、そこに大きな問題があると思います。

 

なにも大川さんに限った話ではなく、これでは、日本に新しい政治の風を起こそうとする新たな挑戦者の意志や声が広く行き渡る機会が、奪われてしまうからです。

 

立法、行政、司法に加え、メディアは第四の権力と言われて久しくなりました。

人々の意識に直接働きかけ、判断基準、選択基準を左右する見えない力を持っているメディアは、今日、間違いなく強烈な権力となっています。

 

そのメディアの報道姿勢次第では、これだけ政治不信が強くなっている中で、結果的にさらにそれを助長する旧体制維持にもなりかねないと思います。

 

今、日本には逆に、例え小さな芽であったとしても、新しい政治文化の気運が必要だと思います。

 

大川ともゆきさんが掲げる尊厳シティ構想に関して言えば、お揃いのピンクパーカーを着た若者たちが、日本の政治を変えるきっかけを作ろうと頑張って、福岡の街じゅうで声をあげて活動していました。

 

私自身多くの方から、若い人たちがこんなに明るく前向きに政治に関心を持っている姿を見て、日本の未来も捨てたもんじゃない、と言って下さる声を聞きました。

 

尊厳シティの活動だけを特別視するわけではありませんし、共有する政治理念を持った人の集まりである以上、それだけを取材するのは、それこそ「公平中立」の観点からみて難しいかもしれません。

 

しかし、既存の政治に不信がつのっているなら、それを払拭するような報道姿勢が必要だし、それを払拭しようとする新しい政治の風にフォーカスをあてて、新しく希望を感じられる政治文化をつくるのは非常に大事なことでしょう。

 

そういったことも含め、メディアのバランスの良い報道、新しい政治の風に上手くフォーカスする報道が、今回の衆議院選挙でも、今後の日本の政治文化の中でも、成熟していくことを願います。

 

今はもう、ソーシャルメディアの普及によって、新聞•テレビといった旧来型のメディアの情報管理は既に効かなくなっている時代です。

 

政治と選挙をめぐるメディアのあり方も、私たち主権者ひとり一人がしっかりと意識を持って注視し、声をあげていく必要があると思います。

 

何よりも、政治という本来とても美しく過酷な責任感に満ちた場に、自分の全人生、全人格を賭けようとする挑戦者の尊厳と、ひとり一人の意思決定を本当に大切にする尊厳民主主義の未来のために。

 

今日も、長文最後まで読んでいただいてありがとうございました!