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観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

「インターステラー」を100倍楽しむ! 〜ネタバレ満載の観術からの解説〜

昨日にひき続き「インターステラー」です。

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今日はどこまで続くの〜と思うくらい長くなるかもですが、異次元まで行ってやろうという心でぜひ気長にお付き合いください。

 

昨日の前提知識をベースに、今日は観術の観点から観た、私の個人的な解釈と解説です。

 

映画の解釈は人それぞれなので、正しい間違いというよりは、ふーんそんな捉え方もあるのね、と寛大に受け取ってもらえたら嬉しいです。

ちなみに今日はネタバレ満載です。さあ行ってみましょう!

 

1.重力の秘密をめぐって

 

この映画の全編を通して、ストーリー上で超重要な役割を果たしているのが「重力」です。

 

現代物理学が明らかにしているアインシュタインの重力理論をベースに描かれていますが、重力の謎、重力の秘密、のファイナルアンサーに現代物理学はまだ到達していません。

 

重力の謎を解明するファイナルアンサーを得られるかどうかが、映画のストーリー上でも決定的な鍵となります。

 

作中では、植物が枯れ果て、地球から脱出しなければじきに人類が窒息し死滅する絶望から脱するために、プランAで地球の外の宇宙ステーション(スペースコロニー)への人類の移住を計画します。

 

ところが、宇宙ステーションを建設し地球の外に打ち上げて人類が地球外に移住するためには、重力をコントロールできなければならない、という問題があります。

 

これに取り組んでいるのがブランド教授です。

ところが、実はプランAはもともと実現不可能な計画であることがブランド教授本人の口から明らかにされるという衝撃的なシーンがあります。

 

なぜなら、相対性理論量子論を統合した重力理論が完成できず、また、重力の底である特異点の秘密が分からないからです。つまりは、重力をコントロールできるために必要な重力の秘密が、どうしても分からないと。

 

重力の謎を知るには、特異点のデータが必要だけれども、自然界には特異点はないと。

 

特異点の秘密を知るためには、ブラックホールの中心、重力の底で、時間、空間、存在の根源に隠された秘密を明らかにしなければなりません。

 

しかし、それは人知を越えた世界であり、科学の限界でもあります。

 

その結論に既に至ってしまった人物は二人。ブランド教授とマン博士です。

彼らは、プランAは実現不可能だから、地球上の人類は地上で死を待つほかにどうしようもないという冷酷な事実に口を閉ざし、プランBの成功に賭けます。

 

人類が移住可能な他の星を探し出し、そこで、人工授精によって人類を増やしていこうと。その役割を全うする目的意志に一点集中しているのが、マン博士です。人類という、種の存続のために。

 

さて、ブランド教授の衝撃的告白を聞いたマーフは、既存の重量理論だけでは半分で、残り半分が未完成であると車の中で話しています。

 

残り半分が分かれば、重力の謎は解明できる。そうすれば重力をコントロールでき、宇宙ステーションに人類が移住するプランAが実現可能になり、人類の未来に希望が開ける。

 

ここでマーフが言う「半分」という表現は象徴的なものですが、何と何が半分なのかというと、宇宙の中と宇宙の外、で半分、というイメージだと思います。

 

宇宙の中の重力理論は理解できても、特異点に隠された重力方程式、重力データはわからない。

宇宙の外側、あるいは宇宙の裏側にある異質な次元の世界の隠れた重力の秘密が分かれば、重力の謎の解明は完成するのです。

 

宇宙の中は、時空間四次元です。そして、作中でも出てくる重力の謎を解明する次元は、四次元時空の外の次元という意味あいで、五次元になります。

 

五次元というと、トンデモ科学とかスピリチュアルとか思う人がいるかもしれませんが、立派な現代物理の最先端の概念です。

 

数年前には、ハーバード大学教授のリサ•ランドールさんの五次元宇宙論が日本でもブームになっていました。

 

最終的に、五次元世界からの父クーパーのメッセージによってマーフは重力の謎を解明し、「ユリイカ!」と歓喜するのですが、その前に、ブランド教授との対話の中で重要な発言をしています。

 

ブランド教授は既に、自分の重力理論が、重力の謎を解明できるものでないこと、もっと言えば人間の知性や科学的理性で重力理論が完成しないことは分かっています。

 

そのブランド教授に、ブランド教授の計算式を見ながらマーフは次のような主旨のことを言いました。時間の仮定を変更せずに答えを出そうとしていた大前提に、実は問題があるのだと。

 

また、続けて次のような主旨のことも言います。この誤った前提を下にした理論では、再帰的で意味がない。両手を縛られたまま戦うようなものだ、と。

 

これは超重要なセリフなのですが、さていったいどういうことでしょう?

 

これは観術の観点からすれば、物理学の理論の大前提に根本的な問題があるということです。

 

作中でマーフがこれ以上は直接的に言及してはいませんが、ようは私たちが思う時間の概念自体に、大きな間違いがあるということですね。

 

また、相対性理論に即して考えれば、時間と空間、そして時空の歪みと質量は不可分のものですから、実は時間の概念の前提が間違っていたということは、空間、そして質量(存在)の概念も間違っていたということにもつながります。

 

なんかむつかしい話になってきた…と思う方もあるかもしれないので、結論だけシンプルに行きましょう。

 

ここで問われていることは何かというと、時間は本来実在しない、ということです。そして同時に、空間も、質量(存在)も実在しません。

 

人間が思う時間も空間も存在も実在しないということは、つまり、宇宙そのものが実在しない、ということです。

 

一体なんのこと?と思うかもしれませんが、宇宙の真理を探究する究極の世界は、実はその結論を導き出してしまうのです。

 

恐らくその事実に気づいている物理学者もいるのだろうと私は思っていますが、そうなると一体この現象世界をどう理解すればよいのか訳がわからず、説明責任も果たせないので、言葉にできないのかもしれません。

 

これは物理学だけではなく、数学や、あるいは哲学、宗教、精神世界など、人類のあらゆる知の探究の行き着く、終着点の「答え」なのです。

 

宇宙は実在しない、という世界を「無」とするなら、私たちが思う宇宙の存在は「有」です。

存在があるのが大前提の西洋科学が、実は最も根底の大前提から、理解方式そのものを再構築しなければならない時期になっているのです。

 

本来「無い」のに、当然のように「有る」世界を私たちは認識している。これを仏教の単語に置き換えれば、空(無)は色(有)と別のものではない、という意味で、有名な般若心経の「色即是空、空即是色」という概念になります。

 

「無」は、完全に何も無いわけではなく、人間が知っている概念を越えた「何か」の働きがそこにはあります。その「何か」が、「有」の世界も生み出すのです。

 

そして、無と有、空と色は、実は「ひとつである」と。

 

そうなると問題は、その「何か」、単語で言えば「無」でも「空」でも「五次元」でも「宇宙の裏」でも「宇宙の外」でも「特異点の秘密」でも何でもよいのですが、それらが最終的に指し示す「ひとつ」イメージとメカニズムは一体何なのだろう、ということになります。

 

人知では理解不能なその、何か「ひとつ」とは一体何なのか、と。

 

ここがまさしく、人類の理性の限界、人間の論理とイメージの限界になってしまうのです。

 

だから、作中でも、マーフが最後に解いた重力の秘密に対して、具体的な説明や描写は特に出てきません。

 

ただ、その最後の答えが、全てを解決するたったひとつの鍵であることは、物理学者にも分かっています。

 

さて、では観術から見て、その最後の答えとは何なのかですが、四日間のワクワク観術セミナーをご受講された方にはもうお分かりの、「あのイメージ」「あのマスター方程式」です。

 

重力はじめ、自然界の基本的な四つの力を統合した先にある、いうなれば「第五の力。」相対性理論量子論を統合した時に理論が発散して導かれてしまう、「無限大」の謎。

 

それが、他の最先端物理や数学、あるいは宇宙の真理を説いた東洋の釈迦の教えや老子の教え、脳科学、心理学、精神世界のワンネス、日本の和心などなどと、どうつながって理解できるのか。

 

それらがまったく矛盾なく、中学生でもわかるくらいシンプルな「ひとつ」の論理とイメージで、その「最後の答え」は完成しています。

 

それが、観術創始者のNoh Jesuが発見し、体系化した、次元上昇したひとつの観点です。

 

そのイメージから私はこの映画を観たので、とにかく大感動になりました。

 

言語だけでお伝えできる限りもあるので、ひとまずここはこれくらいにしましょう。

さて、まだまだ行きまーす!

 

2、五次元の世界が意味するメッセージ

 

クーパーがガルガンチュアに飲み込まれ、特異点を通過して、異質な第五の次元に入った状態として描写されるシーンがあります。

 

そこは人間が思う時空間や存在の概念がなく、無限に何かが広がって行く、いわば「無限次元」の世界でもあります。

 

第五の次元から、人間の四次元宇宙に直接的に干渉することは出来ません。

 

百円玉の表と裏のように、四次元と五次元は表裏一体なのですが、そこはひとつであると同時に分離した世界でもあります。

 

五次元を宇宙の外とするなら、そこから宇宙の中の四次元時空間に作用する、ひとつの基本的な物理の力があります。

 

それが、重力です。

 

実際、現代物理学でも、重力というとても弱い力は、宇宙の中から外にほどかれて出て行ってしまうし、また、宇宙の外から宇宙の中へ、異質な次元を行ったり来たりする波のように、重力波、という概念で捉えられたりもします。

 

この辺の話になると、作中では出てこない素粒子物理やひも理論、M理論の領域になります。

 

そこで映画の中でも、父クーパーから娘へ、次元を越えて疎通するメッセージのシンボルとして、「重力」が描かれています。

 

ここでクーパーは、五次元そのもの、重力の秘密そのもの、になっているのですが、映画としては特に超自然的なイメージではなく、身体のクーパーそのままで描かれています。

 

五次元からのメッセージとして、四次元のマーフの観点からみれば、本が落ちたり、砂がバイナリになっていたりする、見えない力の秘密が重力です。

 

さて、ここのシーンは物理学の単語で言えば「重力」なのですが、より本質的な映画のメッセージで言えば、同じ世界を「愛」で表現しています。

 

五次元から四次元へ、宇宙の外から宇宙の中へと、異質な次元を疎通させる「間」が、本棚や腕時計の意味するものです。

 

そして、そのメッセージはまさしく、時空を越えた、父から娘への「愛」そのものです。

 

こう書くとやたら理屈っぽく聞こえると思いますが、映画を観ながら私はここのシーンは正直かなり胸にグッときたところです。

 

第五の次元とは「愛そのもの」であるという、哲学的なメッセージです。

 

ということは、宇宙のすべてを司る根源の秘密、その根源の力は「愛」であるということだから、この宇宙のすべては、実は愛に満ちている、というメッセージにも解釈できます。

 

さらに、もうひとつすごく重要なこと。

 

四次元世界の中にいたときのクーパーやブランド教授、娘のブランド博士は、重力を通して何かメッセージを伝えようとしているらしい「何か」に対して、「五次元の存在」とか、「彼ら」という表現を使います。

 

特異点の中で、第五の次元に入ったクーパーも最初はまだそんな感じだったのですが、ロボットのTARSとの会話の中で、「彼ら」とは、「私たち自身」に他ならないのだ、というひとつの悟りを得ます。

 

そして、全ては愛に満ちているのだと。

 

つまり、四次元の身体のクーパーと、五次元存在としてのクーパーは、「違うもの」ではなく、どちらも自分自身なのだという気づきです。

 

それなのに、四次元の身体のクーパーは、自分とは分離した五次元の「彼ら」が存在していると思い込んでいました。

 

この思い込みの観念の世界が崩れ、五次元と四次元がどちらも自分であること、宇宙の外の自分も宇宙の中の自分もどちらも自分であるという真実の世界に気づいていきます。

 

つまり、すべては分離なくひとつであり、究極的な宇宙の真実の世界には、いうなれば「絶対的な自己ひとつだけ」があることを気づくのです。

 

だから、次元を越えた、自分から自分へのメッセージであるということになります。

 

これは、人間観の革命、人間のアイデンティティの革命、I amの革命、という、21世紀の教育革命の核心価値に直結します。

 

身体だけが自分だと思い込んで生きる大いなる錯覚の時代に、21世紀の時代意志は終止符を打とうとしています。

 

この映画は、そんなメッセージにも読み取れました。

 

ちなみに、同じく観術創始者のNoh Jesuの大著『国家革命』には私の好きなフレーズがありまして、

 

「自ら限界をつくり、限界を突破するという本来の人間が持っている強烈な智慧と強さとひとつになる道に出会って欲しい」とあります。

 

これは、個人的にインターステラーのメッセージと重なって思い出しました。

 

3、ラザロ計画の真の意味

 

まだ続きます。

 

この映画を通して、人類は新たな一歩を踏み出した、という未来への希望がなんとなく暗示されていますが、ここはちょっと独特な解釈を加えてみたいと思います。

 

人類は、クーパーとマーフの父と娘の愛により、マーフが重力の秘密を解明したことで、地球の中から地球の外へと宇宙ステーションでの移住を成功させました。

 

それは確かに人類にとって偉大な一歩であり勝利であるとも言えますが、ちょっと問題もありますね。

 

これだけいい映画に小さなところでケチつける気はさらさらないのですが、何かというと、地球自体は結局見捨てられ、植物も死に絶え酸素もなくなり、死の星になったであろうということです。

 

つまりは、地球という星は人間のエゴに使い尽くされた結果死んでしまったので、宇宙ステーションというニューフロンティアに移住したと。

 

こういう発想じたいは、なんというか、やっぱりアメリカ的だなあという感じがしないでもありません。

 

それで、私がここでふと思ったのが、作中の「ラザロ計画」のことです。

 

アメリカはキリスト教国ですし、キリスト教的な世界観は、インターステラーに限らずいろいろな文化の中に色濃く反映されます。

 

「ラザロ計画」もそうです。私の勝手なキリスト教的な解釈も加えると、キリスト教のメシア思想にあたるのが、主人公のクーパーの位置づけに相当します。

 

簡単にいえば、人類滅亡の危機に直面し、死を覚悟して、たった一人でその危機から全人類を救済する物語でもあるので。

 

そうなると、クーパー以前の「ラザロ計画」の12人は、イエスの12弟子に相当します。人類救済のために世界の各地に散らばり、伝導に向かう人々です。

 

その文脈で観れば、マン博士が冬眠カプセルから目覚め、クーパーに向かって「あなたが神様に見えた」というシーンも、まんざらではありません。

 

マン博士は、これもキリスト教でおなじみの、裏切り者のユダに当たるでしょう。

 

もっともマン博士は、プランAの不可能性を知っていて、人類という「種」の生存本能のために、プランBのミッション達成に盲目的に邁進するので、ただの裏切り者、悪者でもありません。

 

人間の本質的な弱さ、孤独への恐怖、そして「生きたい」という、生存本能を象徴していますが、人類という「種」を、未来に向けて絶えさせることなく結び続けたい、という本能は、観術からみてもとても納得いくものです。

 

ここまでは「ラザロ計画」についての私の解釈の前置きですが、象徴的にみて、三つの「ラザロ計画」の解釈が頭に浮かびました。

 

そもそもラザロは、聖書の解釈通りに理解するなら、救世主の力による「死と再生の奇跡の象徴」だと思います。

 

三つの「ラザロ計画」のうちひとつめの解釈は、12 人の中で唯一生き残っていたマン博士が、クーパーによって「死」(実際には冬眠カプセルですが、永遠に誰もこない可能性もあったので。)から「再生」する「奇跡」がおこったこと。

 

シンボル的にラザロっぽいですが、まあ、これは単なるお楽しみレベルの解釈に過ぎません。

 

二つ目は映画の本筋通りですが、地球と人類の「死」の運命を、クーパーが自らの犠牲という覚悟を通して「再生」させる「奇跡」へ導いたこと。

 

人類の未来は、救世主によって死の淵から見事に復活したのですから、これはまさしく名前の通りの「ラザロ計画」です。

 

ちなみに、「死」と「再生」というテーマでいくならば、死んだ地球に変わって、新たに「再生」させる、故郷となる星が必要です。

 

最後にブランド博士が到着したエドマンズの星は、人類が再び繁栄できる可能性がある星としてラストシーンに描かれています。

 

だからクーパーは、娘との人間的な家族愛に生きるよりは、ブランド博士の救済と様々な想いも含め、プランBの完遂のためにも、ミッションを終えることなく、エドマンズの星に向かっていったのでしょう。

 

そして、恐らくエドマンズの星によって、人類はゼロから再生していくはずです。あたかも、アダムとイブから人類が始まったように。

 

さて、それで三つ目の、私の勝手な「ラザロ計画」の解釈です。

 

主人公クーパーそのものが象徴していることが、まさしく「死」と「再生」、すなわち「第二の誕生」にあたる、という意味での「ラザロ計画」です。

そして、これからの人類が向かうべき変化の方向性はまさしくそこであると。

 

どういうことかというと、クーパーは、事象の地平線を越え、特異点を通過して、五次元そのものの自己を悟りました。

 

物理的な解釈としても、ブラックホールの中心、特異点にまで物理量が圧縮すれば、それは全ての存在の「死」を意味します。

 

つまり第五の次元とは、身体的な自分の「生」の世界の向こう側なのです。

 

ですが、そこでクーパーが五次元の世界、愛そのものの世界に気づいた時、映画の中でこんな主旨のセリフがありました。

 

人類は、「四次元立方体を閉じ始めた。」と。

 

五次元世界の真実から観て、四次元の世界がほどかれて消えて行くということは、人間が思う錯覚の存在の世界、現実の「生」の世界がほどかれてゼロ化されていくということです。

 

そして、それは同時に、先ほど書いたように、全てがゼロ化された果てに、五次元でもあり四次元でもある、「絶対的自己ひとつ」そのものの自分に気づく意味でもあります。

 

これは仏教的な表現をすれば、生と死という概念を越えて、生まれることも死ぬこともない「不生不滅」の自己へと生まれ変わることにつながります。

 

つまり「ラザロ計画」は、クーパーをはじめとし、彼の気づきによって、未来人類に広がって行く人類の「再生」の計画。

 

四次元時空間の中で、身体だけが自分だと思い込んでいた観念の人類そのものが、五次元の「不生不滅」の心の自己に「再生」していく、未来への壮大なるメッセージに受け取れるのです。

 

今の時代は、本質的にはそういう大きなパラダイム転換の時期に来ているので、こういう映画からもどのようなメッセージを汲み取ることができるのか、こんな解釈もひとつの見方として楽しんでもらえたら有り難いですね。

 

さて、最後に。

 

映画のタイトルは「インターステラー」です。

英語の意味では、星と星の間の、とか、惑星間の、という意味だそうです。

 

映画では、ワームホールを通って、惑星間を行き来しながらストーリーが展開していくので、普通にその意味も当然あるでしょう。

 

ですが、せっかくなので少しうがってみましょう。

 

惑星間の行き来を可能にしているのはワームホールですが、ワームホームの秘密も、結局は「重力」です。

 

そうなると、この映画でいう「インターステラー」は、惑星間に作用している「重力」のことを指しているとも言えます。

 

さらに言えば、その「重力」の秘密は「愛」であり、愛そのものの五次元の「何か」が、私たちの本来の実体であると。

 

つまり私たちひとり一人が、五次元そのもの、愛そのものの「インターステラー」である!

 

人類は、その方向に向かって、次なる一歩を踏み出そうとしているのだ、という意味で、今の時代が生み出してくれたメッセージとしてのタイトルが、「インターステラー」なのです。

 

お後がよろしいようです。

 

長文どころではない長文、もはや駄文なのか長文なのか次元を越えてしまった感がありますが、最後までお読みいただいて、本当にありがとうございました!  

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