観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

2015年のアベノミクスはどこへ向かうのか

アベノミクスの路線継続によって、この先日本経済はどうなっていくのでしょう。

 

私は経済学の専門教育は受けていませんが、シンプルな素人考えでも、このままだとやっぱりどうしても大変なことになるんじゃないかという懸念がたくさん出てきます。

 

大前提として思うのが、20年間の長期沈滞、デフレ不況を脱却するための第一の矢、異次元金融緩和の効果です。

 

確かに、株価は2年で2倍になりました。数字の上では喜ばしいことですし、その恩恵を受けた投資家もたくさんいることでしょう。日本経済の期待や評価も一時期大きく上がった事実もあると思います。

 

しかし、日本経済や日本企業の実質的な経済価値は、本当に2倍になっているのでしょうか。

 

2倍に膨れ上がったのも、官製相場の株価バブル、しかも外国人投資家が背景にある株価バブルで、いつどういう形で落ちていくのか、危惧せざるをえません。

 

それと、そもそもデフレ不況を金融緩和で解決できるという発想自体に、根本的にズレている、あるいは欠けている観点があるのではないかと思います。

 

今日のデフレの要因はバブル崩壊前後からの過程が色々ありますが、アベノミクスの前提は、デフレには日銀の金融政策の影響が大きく、また金融政策によって解決できるものだ、ということだと思います。

 

だから、金利の上げ下げだけではなく、異次元金融緩和に踏みきることで、デフレを退治しようと。

 

お金の流通量を増やし、企業の生産活動に新たな血液(お金)を流し込み、活発な生産活動と投資による供給側の伸張によって、需要も伸びて行き、消費が活性化し、企業業績も好転し、給料も上がって家計も潤い景気も良くなると。

 

理屈としては分かるのですが、そもそも二つの問題があると思うのです。

 

ひとつは、異次元金融緩和でお金が流せる量(マネタリーベース)を増やしても、それが企業の未来価値、未来技術への積極投資につながっているのだろうかという点です。

 

アベノミクスは単純にみれば、製造業を中心とした大企業が元気になることから、その効果がトリクルダウンによってどんどん中小零細企業にまで浸透することを企図しているのだと思います。

 

しかし、多くの報道でも言われているように、お金はそんなに行き渡っている実感が世の中にはありません。

 

どこに消えてしまっているのかを考えると、ものの見事に通過蒸発を起こしていくのではないかと思うのです。

 

デフレの原因が金融政策の失敗なら、お金を印刷すれば解決するでしょう。

お金を刷って、モノをつくり、供給し、需要が高まり、景気が循環すると。

 

しかしもし、刷ったお金が、新たなモノづくりの方向に投資されないのであれば、そもそもその先には流れていきません。

 

莫大にたまったお金の流れる先は、金融商品や資産バブル、あるいは海外へ流出し、最終的にグローバル資本家の手元にいきつく可能性が高いのではないでしょうか。

 

これは、私が思うふたつ目の問題ともコインの裏表でつながります。

 

何かと言うと、お金やモノの「供給側」の要因ではなく、「需要側」の要因です。

 

経済学は不思議なもので、理論の前提として、供給を増やせば需要が伸びる、という因果論が土台にあるようです。いわゆる「セイの法則」というやつです。

 

商品やサービスや時代背景によると思いますが、現実に今の日本で、そんなことは起こっていないのではないでしょうか。

 

日本で起こっている経済問題の本質は、実は供給側よりも、消費する側、需要側の、「消費マインド」の問題なのではないでしょうか。

 

日本はすでにモノ商品は充分に行き渡り、かつての高度成長期のように爆発的な消費ニーズを生み出せる状況ではありません。

 

技術はすぐに模倣され、ある程度は平準化されますし、機能やデザインの競争も、もうギリギリのところまで来ているでしょう。

 

さらに日本はこれまでの貿易自由化と構造改革で充分に海外に市場を開いていますから、海外から安くて相応に質の良いモノ商品は山のように入ってきます。

 

それは当然、価格競争により物価を押し下げ、デフレの要因にもなります。

 

所得が伸びない中で、クオリティの高い日本製を必ずしも求める必要性はもうありませんし、海外製品の質もどんどん向上します。

 

国内の労働コストも高く、価格競争に不利で、品質競争はさほどの優先順位を持たないのであれば、Made in Japanがかつてのように持続的に日本経済を成長させる見通しは狭い道になると思います。

 

さらに日本は人口が減っていきますから、需要側の絶対数も減っていきます。

 

つまり、需要側の量(消費人口)も質(消費意欲)も、どんどん低下していると思うのです。

 

そんな中で、失敗すればただの産業廃棄物になり、企業業績を圧迫しかねない新規投資にお金を回すのはむつかしいと思いますし、新たなアイディアを生み出すのも至難の技でしょう。

 

スマートフォンのように、たったひとつのデバイスで多機能を持つ「オールインワン」の商品が登場していることもあって、高度IT化により、個別のモノ商品の必要性も低下していきます。

 

お金の量は増えても、流す先がなければ、そのお金は大企業や株の所有者以外の一般国民にはおりてこず、めぐりめぐって最後は蒸発していきます。

 

しかもそのお金自体は、日本国の国債、つまり借金にほかなりません。

 

カンタンに言えば、お金の量を増やして、旧来型の製造業と公共事業で日本を元気にしよう、景気回復という発想の基準点自体が、現実の有効性とズレていると思うのです。

 

もちろんそれらの全部が全て無駄だというわけではないですが、本当は、お金を刷るなら、そのお金を「どこに使うのか」が、もっと徹底的に論じられた上でスタートするべきだったのではないでしょうか。

 

刷ったお金によって付加価値、剰余価値を生み出すお金の使い方が必要で、いうなれば持続的に成長する未来価値につながる技術や産業に、お金を使うべきだと思います。

 

そして、それは「需要側の要因」、つまり消費者の新たなニーズを刺激するものである必要があります。

 

お金とモノを供給する側の論理だけでは欠けているならば、「需要側の要因」をしっかり探究して補い、新たな需要を掘り起こして行かなければいけません。

 

需要は、本質的に言えば人間の欲求、欲望に働きかける経済作用であり、心の作用だと思います。

 

「それ、欲しい!!」と思う心の作用が、消費活動につながり、それに見合った供給があれば、需給ギャップは生まれません。

 

今は、需給ギャップが開きすぎています。

 

それは本質的には、人間の欲求、欲望の質や深さが変わっているということです。

ここのところに経済理論が力点をおかないかぎり、アベノミクスの方向性は今までの経済理論の枠の中で迷走していくような気がします。

 

人間の生活上での欲求は、基本的には衣食住です。

また、マズロー欲求段階説にあるように、健全に生存、生活していく上での基本的な諸欲求です。

 

今の日本は衣食住についても色々問題はあるものの、基本的には一定程度は満たされています。

 

そうなると、次に所有欲が膨らみます。あるいは名誉、名声も含んだ承認欲求、支配欲求などもあります。

 

消費活動の商品で言えば、車やマイホーム、家電やデジタルデバイス等が象徴的でしょう。

 

またデフレによって、ネット上では破格の値段で様々なものが手に入ります。

消費欲求を先導されている側面もありますし、モノ商品は本当に飽和状態です。

 

そうなると、実は重要なのは、この次の新しいニーズを呼び起こすことが出来るかどうかです。

 

なぜなら、前述したようにモノは溢れています。もちろんそこでの消費活動もたくさんありますが、大問題として、モノの豊かさはあるものの、未来への希望や夢、幸福感は極端に低い、日本のいびつな社会状況があります。

 

かといって、抽象的な精神論や思想や宗教、スピリチュアリズムでは、科学技術、IT技術、ロボット技術全盛の21 世紀の現代文明にあって、真に有効な代案にはなりえません。

 

よりもっと根源的な人間の本質的ニーズ、そして同時に、現実的な様々な産業の底上げにもつながるようなコンテンツや未来技術、新しい未来への希望に案内する産業、そこにこそ、お金は投資されるべきではないでしょうか。

 

その財政政策と成長戦略につながっていないのが、アベノミクスの今後の方向性に対して私が不安を感じるところです。

 

続きはまた明日。

 

今日も最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました!