観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

天皇誕生日の12月23日、今上天皇の記者会見に感じた日本の和心

昨日の続きを書くつもりだったのですが、ちょっと今日はどうしても書き残しておこうと思ったことをひとつ。

 

今日、12月23日は、今上天皇の81歳のお誕生日でした。1933年のお生まれということなので、戦前戦中の多難な時期に少年時代を過ごされたことになります。

 

誕生日を迎えられての記者会見の様子も報道されていましたし、全文は宮内庁のホームページにも掲載されています。

天皇陛下お誕生日に際し(平成26年) - 宮内庁

 

今までは、天皇誕生日だからといって、正直なところ特に何も気にも留めずに普通に過ごしていたのですが、今日は、たまたまテレビの会見を少し観たところから思いが走り、このブログにつながっています。

 

ひとつには、来年が戦後70年ということで、それに付随したお言葉の部分を取り上げる報道を少々目にしたこと。

宮内庁ホームページからの引用です。

 

「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう,常により良い日本をつくる努力を続けることが,残された私どもに課された義務であり,後に来る時代への責任であると思います。そして,これからの日本のつつがない発展を求めていくときに,日本が世界の中で安定した平和で健全な国として,近隣諸国はもとより,できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう,切に願っています。」

 

この部分のお言葉については、政治的にあれこれ利用せず、真摯にそのまま受け止めるべきなのではないかと私は思いますので、特に触れません。

 

この部分よりも、私が改めて、天皇陛下とは一体どういう方なのだろうと思ったところがあります。

 

それは、今年起こった自然災害のことを心配された後で、多雪地帯の屋根の雪下ろしで亡くなる高齢者のことに触れたお言葉のところです。

 

前後をそのまま引用させて頂くと、この箇所です。

 

「痛ましい災害もありました。8月には大雨が広島市を襲い,土砂災害によって74人が亡くなりました。先日被災地を訪問しましたが,暗闇の中で木がなぎ倒され,大きな石が土砂と共に落下してくる状況は想像するだに恐ろしく,人々の恐怖はいかばかりであったかと思います。

また9月には,御嶽山の噴火により,死者,行方不明者が63人となりました。紅葉を楽しもうと登った人々であったことを思い,心が痛みます。

長野県北部でも11月に震度6弱地震が発生しましたが,幸いにも地域の人々の日頃の訓練と消防職員の協力によって死者を出すことはありませんでした。建物の被害は大きく,冬に向かっての生活の苦労が深く察せられますが,死者がなかったことはうれしいことでした。

新聞に大きく取り上げられるような災害ではありませんが,常々心に掛かっていることとして多雪地帯での雪害による事故死があります。日本全体で昨冬の間に雪で亡くなった人の数が95人に達しています。この数値は広島市の大雨による災害や御嶽山の噴火による災害の死者数を上回っています。私自身高齢になって転びやすくなっていることを感じているものですから,高齢者の屋根の雪下ろしはいつも心配しています。高齢者の屋根の上での作業などに配慮が行き届き,高齢者が雪の多い地域でも安全に住めるような道が開けることを願ってやみません。

 

日本の憲法の規定では天皇は明確な国家元首ではありませんが、単純に考えて国家の最高の象徴です。

 

世界中のそれに類した地位にいる人物の中で、いったい、自分の誕生日の記者会見で、高齢者の屋根の上の作業に配慮が行き届き、安全に住めることを願ってやまないと公式に発言する人などいるのでしょうか。

 

この発言をされる観点じたいにも驚いたのですが、さらにそこから、何気なく宮内庁のホームページを眺めていたら、今年の冒頭、新年に当たってのお言葉の中でも、同様のことを仰っているのをたまたま発見したのです。

 

天皇陛下のご感想(新年に当たり):平成26年 - 宮内庁

「雪の深くなる季節,屋根の雪下ろしの事故には十分に気を付けてください。」 

と。

 

ただこの度の誕生日の時だけではなく、本当に、本心からずっと氣にかけられているんだなあと、なんとも唸らざるをえませんでした。

 

失礼を省みずあえて言うなら、公式の記者会見で、平和を願う発言をすることはどんな国家元首でもするし、できるでしょう。

 

しかし、こういった発言は、よほど繊細に丁寧に心深くから、国民ひとり一人の日々の暮らしのことに心を配っていないと、絶対に出てくるものではありません。

しかも、二度もです。

 

私は天皇陛下に対しては、何か特別な思想的感情は持ち合わせていませんが、素のままの心情として敬意を持っている程度です。

 

例えば極端に敬愛している民族主義のような観点もなければ、天皇制打倒すべしというような敵対視する過去の左派的な観点などもありません。

 

ただ、少々僭越ながら一人の人間としてこの言葉に接したときに、その人間性の深みの底知れなさに対して、なんとも言えないある種の感動のようなものを覚えました。

 

なぜなら、そこにある配慮や優しさや責任感といったものの根底に、ひとり一人の人間の暮らし、人生、生活、そして何よりも、その人々の「尊厳性」というものを汲み取る、非常に深く繊細な心のあり方を感じたからです。

 

例えば世界平和を口で唱えることはある意味簡単かもしれませんが、自分の日常生活ではまったく出会うこともない、遠く離れた一人の人の生命や存在の尊厳に対して、平和と幸福を願ってやまない心を本心から持つことは、相当な心の領域に到達していないと無理だと思います。

 

屋根の雪下ろしの事故を案じるその心は、恐らくあらゆる人々の尊厳にも向けられているのではないかと思うのです。

 

実際、宮内庁のホームページを覗いてみれば、天皇陛下のご公務や宮中祭司などは本当に多忙を極めます。

 

神話の時代をどう観るかは人それぞれとしても、いわゆる「祭祀王」として共同体の構成員の平和と幸福を祈り続けた125代の歴史伝統の重みというものは、私たちの普通の日常感覚のモノサシでどうこう言うべき次元の外なのではないかと感じた、2014年の天皇誕生日なのでした。

 

そして、恐らくこの深い次元の心のあり方こそが、日本文明の奥深くに流れ続け、あらゆるものと調和してその尊厳性を響き合わせて行く、日本の和心なのではないかと感じた日でした。

 

今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!