観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

『みんなの夢がかなうハイパーコネクション都市 −わくわく尊厳シティ−』未収録の第七章《vol.8》

『みんなの夢がかなうハイパーコネクション都市 −わくわく尊厳シティ−』未収録の第七章

《8》真実の人間観とは

 

「永々たる人間社会の涙の意志を受け、我々はここに真実の人間観を宣言する。すなわち真実の人間観とは、身体的境界線を有する有限の存在ではなく、神仏の概念すらも抜き越えた、無限かつ荘厳なる絶対尊厳ひとつそのものを意味する。」

 

フランスの人権宣言は、人間と市民の権利を宣言しましたが、そこには大前提としての、人間とは何かという明確な規定が足りませんでした。「人は自由かつ権利において平等」という人間の規定だけでは、本当の人間の尊厳性を発揮させることはできません。

 

なぜなら、それは部分と違いを取って有限化して認識する脳の癖の結果態による人間観にすぎず、真実の人間観ではないからです。

 

脳の認識に依存した錯覚の人間観では、身体的境界線を生み、自分と自分ではない世界を分離し、宇宙自然を自分と関係なく存在させてしまいます。

 

体だけが自分だと思えば、自分が起きていようが寝ていようが、生まれていようが死んでいようが、自分と無関係に宇宙自然すべては存在し続けているという思い込みにはまってしまうのです。

 

また、人間は人智の及ばない宇宙の創造主と宇宙自然の進化の中で生まれた被造物であり、広大な宇宙空間の中でほんの数十年生まれて消えるだけのちっぽけな存在に過ぎないという、尊厳性の不完全な人間観にとどまってしまいます。

 

そして、自分が何のために生まれたのか、生きること、死ぬことがどういうことなのかもわからないまま死んでいくことになってしまうのです。

 

それらは「観点の問題」を解決していない状態で人類五百万年の人間が思い込んでいた錯覚の人間アイデンティティであり、「観点の中」で自分の体だけを自分と思えば、人間はその時点で生老病死の苦しみを始めとする四苦八苦を運命付けられてしまうのです。

 

また、自他分離の二元の認識方式では、人間は終わりなき相対比較と対立という関係性の罠から決して逃れることができません。

 

「観点の問題」に気づかず、解決する術も持たないまま人間社会に尊厳性を求め続けてきた歴史は、美しくも悲しい偉大な挑戦でありましたが、今の時代は尊厳革命によってその涙の意志を引き受けながら、「観点の問題」を完全に解決した真実のひとつの境地から観た人間観を宣言し、人間の尊厳性が花開く尊厳時代を目指していくべきときです。

 

そのための基準点として、人間の明確な再規定が必要不可欠なのです。

 

精神世界では、自分の中に神がいるという考え方をする人もいますし、日本では神人合一という境地で表現されるように、自己がすなわち神であるという人間観を持っているところもあります。

 

しかし、尊厳時代の真実の人間観は、「人間であり、神仏であり、神仏以上の存在」という明確な規定があり、これを論理とイメージで誰でも理解できる教育体系にしたのが観術の人間教育の白眉でもあります。

 

また、「近代」までの人類史上では、大前提として人間と神を明確に分離し、神の下に人間を置く人間観にとどまっていましたが、「現代」の人間観はその時代のプレートのパラダイムを大きくシフトさせていくものになります。

 

西洋のルネッサンスが、それまで信仰の対象であった神を、人間の理性による思索と理解の対象物に置き換えた以上の革命的な変革をもたらすものが、日本発のルネッサンス、日本発の尊厳革命です。

 

「神仏の概念すらも抜き越えた、無限かつ荘厳なる絶対尊厳ひとつそのもの」の新しい人間観は、きっと百年先の世界にとっては、共通のスタンダードな認識として共有されるようになっているでしょう。

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