観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

言語の主導権を握られている歴史的なdisadvantageを日本はどう越えるのか

今回はなんだか時差ボケがきれいに抜けてくれず、太陽を浴びて散策作戦。

ただいま体内時計を調整中。

 

サンフランシスコの中心地に来たことがある方なら誰でも分かる、市街メインエリアへ。

ちなみにアメリカは、7月4日の独立記念日の前日ということで、3日も休日のところが多いようです。

 

ダウンタウンの中心地、こちらユニオンスクエアから

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エンバーカデロセンターを経て、

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ジャスティンハーマンプラザへ。

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街頭で、ギリシャの経済危機が単にギリシャの問題だけではなく、アメリカの経済システム、ひいては世界全体の金融システムの問題であることをスピーチしている人々に遭遇。

 

人本主義、認識経済を提唱しているNRの一員としては、この手の話は大好物。

 

立ち話でちょっと質問してみたりしたのですが、帰ってくる英語が早い早い…。

 

はい、全然聞き取れません。

 

ゆっくり話してくれと言って、それなりに理解できたのですが、なんかやっぱり悔しいなーと。

 

アメリカに来て思うのは、この国に来ているのなら英語が話せて当たり前でしょ、という、暗黙の大前提のようなもの。

 

もっとも、多民族国家なので、アジア系、ヒスパニック、黒人、白人が日常的に入り交じっていて、誰が現地人で誰がツーリストなのかいちいち確認もしないからかもしれません。

 

でも例えば逆に日本に外国のツーリストが来ていたとして、日本人は、その外国人が日本語を話せることを期待したりしないと思います。

 

もしその人が日本語を話そうものなら、わー、日本語がお上手ですね、とかいう反応になります。

 

しかし、こちらで英語をちょっと話してみたところで、当然ながらそんな反応は来ません。

 

いま勉強中なんだよね、といっても、そうか、まあ頑張ってくれ、みたいな感じ。

 

なんか悔しい、と思う私の観点から観るから無意識でそう感じるだけかもしれませんが、いずれにしろ、英語は世界を代表するglobal languageで、日本語は基本的には島国日本の中でしか使えないlocal languageであることは事実。

 

じゃあなんで英語という言語に主導権を握られているのかといえば、カンタンな話、歴史的経緯として、英語を話す人々が、世界をそれだけ植民地化して支配下に置いたからでしょう。

 

フランス語もしかり、スペイン語もしかり。

 

でもだからといって、それが支配者の言語だからということで、表立って英語が植民地支配のシンボルとして糾弾されるようなことはないと思います。

 

それならもしも日本が七つの海を支配する大英帝国のように世界中に植民地支配を広げきっていたら、日本語がglobal languageになり、それに対して糾弾されるようなこともなかったのか…。

 

まあ、それは単なる思いつきの妄想として、過去は過去なので今更別にそれがどうこうというわけではありません。

 

でも重要だなーと思うのは、言語の主導権を握られているという、この歴史的なdisadvantage(不利な立場)を越える道はあるのか、ということです。

 

言語の習得自体にかかる時間と労力、無意識的なアンダーポジションというdisadvantageもありますし、より本質的には、言語は、そのままそれを扱う人の意識に作用します。

 

よく言われることですが、英語をずっと使っていたら、日本語の語感的な感性や発想、感覚は育たなくなります。

 

穿ってみれば、ひいてはそれがひとつの国の母語が育む深い精神性や伝統性、民族性のオリジナリティを破壊していくと。

 

だからといって英語が悪いわけでもなく、そういうことも踏まえて上手に言語の多様性を楽しんでしまえば良いと思いますが、いずれにせよ、日本と日本人が置かれている言語のdisadvantageは、単に言語にとどまらず、そこから生まれる意識と、意識から生まれる様々な社会システムのdisadvantageにまで影響を及ぼしている氣がします。

 

明治以降、西洋の学術を山ほど翻訳輸入し、彼らが創った民主主義、資本主義、金融制度の下にずっとついていくしかないという、この根深いdisadvantage。

 

また近年の翻訳出版業を俯瞰しても、アメリカから翻訳輸入した自己啓発成功哲学、引き寄せ、スピリチュアル等々…。

 

逆に日本語から英語に翻訳されて輸出している印刷物の絶対数をもし比較してみたら、愕然とする結果にしかならないと思います。

 

日本人はアメリカの言語に根っこをつかまれ、アメリカの意識に覆われているなあと、改めて思わざるをえません。

 

もちろんそれが単に良い悪いと言うようなレベルの話をしたいのではないですが、ポジション的には明らかに下部構造に置かれていることの自覚と認識は必要だと思います。

 

さらにIT全盛の現代社会では、プログラミング言語のadvantageを競って、特に米中で熾烈な競争が繰り広げられています。

参考に観術講師の金子さんの記事もぜひどうぞ。

ameblo.jp

言語を制する者は、世界を制す。

 

英語とプログラミング言語という二つの強烈な武器を手にした文明のチャンピンをイメージした時に、日本人の手には、それとgood fightを繰り広げるために一体どんな武器があるのでしょうか。

 

日本人が欧米人以上に英語が上手になる未来はないでしょう。

日本人がシリコンバレートップランナーたちを追い抜いて、世界基準のプログラミング言語を確立することも期待できないでしょう。

また日本語が英語やスペイン語を越えて、世界のglobal languageになっていく未来も考えにくいです。

 

であれば、日本オリジナルの言語で、グローバル社会に対し、国家民族を越えて価値のある新たな言語を提示してみることは、面白い発想ではないでしょうか。

 

NRグループが提唱し始めているイメージ言語の本当の価値が正しく広く認識されるようになっていったとき、今までにない、新しく面白い状況が広がっていく可能性は十二分にあります。

 

それは長い長い道のりかもしれませんが、見方を変えて、英語やプログラミング言語がこうして世界中に広がるまでに何十年何百年と意志を持続させ続けた人々の努力と尊厳を思えば、そこに対するひとつの敬意と共に、日本から新たに挑戦しなければならない道なのだろうと思います。

 

サンフランシスコの港で西海岸の風にふかれながら、過去と未来に広がって行く長い長い歴史の意志を思った時間でした。

 

さて、今日はいよいよアメリカのプライド、Independence Day(独立記念日)です!!

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