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観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

紛糾する安倍総理の「70年談話」のその先へ。 私たちは一体、未来世代に何を残すべきなのか?

今日は少し長めですが、よろしければ最後までお付き合いください。

 

木曜夜の昨日は、サンフランシスコのシティホールのそばにあるアジアン•アートミュージアムに行ってみました。

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普段は17時までで閉館だそうですが、たまたま昨日行ってみたら、木曜日は週に一度の21時まで延長の日で、しかも入場料が通常大人15ドルのところ、5ドルでOKという特別な日。

 

すぐそばにはオペラハウスやシンフォニーホールもあります。文化の街•サンフランシスコとしての取り組みに感謝したLucky thurdsday nightになりました。

入り口には、アジア美術館らしく左右に阿吽(あうん)の狛犬像が。

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美術館を一通り見てまわりましたが、しかしその収蔵物の質と量の充実ぶりには驚かされました。

古代インドから始まり、ペルシア、東南アジア、中国、朝鮮、日本と、各地域の美術品と伝統文化、精神性の歴史が、とてもしっかりと展示されています。

 

そして、「アジア」がお互いゆるやかに影響を与え合いながら、長い歴史を共に歩んできた道のりも、深く感じることができます。

 

「アジア」の美術館として、これほど広範に渡って収集、保存、展示されているものは世界中にどれだけあるのだろうかと思うと、サンフランシスコにあるこの美術館の存在は本当に貴重なものだと思いました。

 

私の知る限り、これに類する規模のものは日本でも韓国でも見たことがありません。中国は上海と北京しか行ったことがないですが、やはり覚えにありません。

 

しかしふと思ったのは、ここアメリカで、アメリカ人の立場になってみて「アジア」という大きな括りでの理解をする意思を前提にすれば、なるほどこういう美術館になるのかも、ということ。

 

逆に言うと、アジアの一部分として各国家、各地域の中にいれば、「アジア」全体を外から包括的に観るという視点はむしろ持ちにくいのかもしれません。

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それと関連して、今朝日本のニュースを見て感じたこと。

戦後70年談話をめぐる報道について、私の個人的な所感です。

 

70年談話をめぐって

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日本時間10日の夕方、安倍総理は日韓•韓日議連の合同総会の場で、70年談話の方向性についての共同声明を採択したとのことです。

メディアもそれぞれの基本的な思想信条が反映されてか、朝日の場合はこんな見出し。

www.asahi.com

同じテーマに対して、毎日新聞はこんな見出し。それぞれの観点からのタイトルですね。

「日韓•韓日議連:70年談話で友好深化を 共同声明」

http://mainichi.jp/shimen/news/20150711ddm005010050000c.html

 

さて今年の70年談話、8月15日まで、そしてそれ以後もメディアはしばらくずっといろいろ取り上げるでしょうし、右派から左派までいろんな学者や評論家の説がネット上でも乱立するのだと思います。

 

先に私の率直な印象を言えば、いつもなんだか釈然としないことがひとつあります。

 

それは、談話についてどのような意見を出すにせよ、それで日本とアジアの未来に対して、どのような未来ビジョン、明るい方向性を描いているのだろうか?ということ。

 

そもそも談話で問われている安倍総理の「歴史認識」に限らず、日本の近代史に対する評価は学者によっても政治家によっても全然統一されていませんし、思想信条の自由がある国なのだからそれは当たり前のこと。

 

例えば村山談話を残した村山首相や朝日新聞のように、アジアへの侵略と支配に対して明確な反省とおわびを盛り込むべき、という歴史認識の人もいますし、韓国も中国も、そしてアメリカをはじめ戦勝国側も、基本的にはこのスタンスです。

 

彼らは自分の認識が無意識で絶対正しいと思い、それを安倍総理に要求します。

 

しかし村山談話以降20年間、談話の内容を評価する人、批判する人と様々で、よし!この談話をもとに、日本とアジアの未来ビジョンと明るい方向性が具体的に描ける!と確信している人はほとんどいないと思いますし、実際そうなっていません。

 

であれば、彼らが主張するように、もし仮に過去の村山談話安倍総理が継承し、反省、謝罪したとしても、それだけでは状況は根本的には変わらないのではないでしょうか。

 

左派からすれば、安倍が謝罪した!ということで溜飲が下がるのかもしれませんし、安倍政権として侵略を認めたから、これで外交も上手くいく、と思うようになるのかわかりませんが、それで日本の力強い未来ビジョンが生まれることは期待できるのでしょうか。

 

なぜなら、日本国政府としてはっきりと自国を侵略国家、謝罪国家と位置づけてしまっては、日本人が世界に対して誇りや自身をもって発信できるアイデンティティが育ちにくいと思いますし、私たちの国は侵略国家だったのよ、と子供に伝えるべきなのでしょうか。

 

では逆に、右派の観点を強行して、日本は侵略ではなく自衛のためにアジアに進出し、朝鮮の発展のためには大きな貢献をし、アジアを西洋白人の植民地化から解放したのだ、という観点を根っこに持って、村山談話を否定したらどうなるでしょう。

 

彼らは自分の認識が無意識で絶対正しいと思い、それを安倍総理に要求します。

 

右派からしたら、安倍さん、よくぞ日本の誇り、日本の大義名分を守ってくれた!と溜飲が下がる思いかもしれませんが、韓国、中国、欧米からも批判を受け、やはり安倍は極右だ、と日本が孤立化する道になるのではないでしょうか。

 

ちょうど中国を中心とした国家連合がまた生まれてきている中、中国との対決姿勢を強化して、日本の未来ビジョンと明るい方向性が生まれるのでしょうか。

www.nikkei.com

そんなものは理想論で、現実の国際関係は力と力の衝突なのだから、日本はしっかりアメリカとの軍事同盟を強化して、中国の膨張に備えるのがよいのだ、という観点もあるのでしょうが、それが本当に日本の誇りを体現する道だと言えるのでしょうか。

 

自分の国は自分で守るという大義名分はもっともですが、仮に憲法9条を改正して自衛隊が正式に軍隊になったとしても、IT時代の軍隊を運用する脳機能にあたるコマンド•コントロールはアメリカに握られたままです。

 

本当の意味での自国の軍隊にはなりえるはずもありません。

 

しかもアメリカはアメリカの大義名分をもとに中東と戦争を続け、アメリカを守るためにという大義名分でテロとの戦争に参画しなければいけない可能性も十分有ります。

周辺事態の概念が地理的概念の制約を越えたものとみなされる以上、それは当然想定するべきことでしょう。

 

結局のところ、右派の観点も左派の観点も、戦後のアメリカと共産主義イデオロギーの中にとりこまれた歴史認識とそれに対する反論の域を出るものはなく、どっちにいってもまだ彼らの手のひらの上から自由になっていないと私は思うのです。

 

結局、「アジア」を大きく俯瞰し、また世界を大きく俯瞰して、本当の平和の世に向けて、21世紀の日本の未来ビジョンと明るい方向性を確立させる道にはなりません。

 

安倍総理が出す談話に対しては、左派は左派の観点から不十分だと言うでしょうし、右派は右派の観点から、なんで村山談話を受け入れるのだと怒るでしょう。

このジレンマの中で、日本と世界が注視するメッセージを発するのは、かなりのプレッシャーだと思います。

 

観術の観点からみればとにかく問題の本質は本当にシンプルで、「観点の問題」がどういうことなのかさえ完全に理解してしまえばこんな問題は本当に何の問題でもなくなるのですが、少なくとも日本人として、日本が置かれた近代の運命をどう乗り越えていくのかは、それぞれが全く新しい道で考えなければいけない時期に来ていると思います。

 

どっちにしろ当分の間、議論と批判の応酬が続くことが予想される70年談話ですが、どちらが正しくどちらが間違い、という小さな二元的思考の枠の外に出て、「すべてはひとつ」であることが当たり前の観点から、過去の痛みも涙も抱きしめて未来に向かおうという人も増えています。

 

お互いの観点、お互いの立場になりながら、痛みは痛みで認め合う、苦しみは苦しみで分かち合う、そしてお互いの歩みを理解し合おうという心がなければ、ただ自分の言いたい主義主張をずっとぶつけあって、何も進歩しません。

 

そしていちばん重要なことは、どこに意識をフォーカスするか。

 

人間一人もそうですが、過ぎ去った過去にひたすら意識をフォーカスして、あの時の失敗を謝罪し尽くさなければ私は人とまともに関われない、あるいは謝罪し尽くさなければ永遠にあなたを許さない、などと思ったら、明るい人生になるはずがありません。

 

過去をどう思うか、未来をどう創るか。

 

大切なのは、真実には「今ここ」の意思決定ひとつしかない、ということを知ることです。

 

であれば、未来ビジョンと明るい方向性に大きく意識の方向性をフォーカスして、そこに対する議論を活性化させることに、私たちの大切な時間を使いたいものです。

 

心を大きく大きく広げて今の時代を観れば、これまでの歴史上になかったほどに、人間本来の美しさと人間の関係性の美しさが花開いてく希望の種は、地球上のあちこちで生まれています。

 

そして、全く新しいNext Renaissanceに向けて、具体的な交流や教育、社会活動やビジネスを実践的に展開している人々も。 

 

そういったことに意識をフォーカスし、対立の向こう側に開ける調和の関係性を残すことが、日本とアジアにこれから生きる未来世代にとって、何よりも大切なことではないかと思うのです。 

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