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観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

人工知能の下部構造の時代 「知る」ことと「考える」こと

最近改めて、情報社会の問題点について、折に触れて考えます。

 

既に設定された社会状況として、当たり前のように、莫大で流動的な情報にさらされている現代人。

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Aと思っていてもBの情報がある、Bと思っていてもCの情報もある。

情報の流動性に対して、自分の考えを自分で整理する前に、まずは「検索」する。

他者の流す情報に無意識で依存する。そして誰かの考えを自分のもののように思う。

 

情報の海の中で、考え方、生き方の感覚的マヒが起こっているのではないでしょうか。

 

そして情報が、単に一過性の消費物としてしか価値を与えられない。

 

ネットで、SNSで、ラインで、薄く広く「知る」ことは、あまりにも簡単。

しかし、「知る」ことと、「考える」ことの質の隔たりが大きすぎる。

たんに消費情報として「知る」としても、それは自分の中で醸成され定着するものではない。

 

「知る」量の爆発的な増大に比べ、「考える」質は深まらず、むしろ劣化しているのではないか。

 

その結果起こること。

 

未来構築能力が育たないこと。

 

つまりは、誰かが情報を与えてくれないと、判断できない。

ということは、誰かが作った情報の下部構造としての生き方しかできない。

であれば、広範囲の情報収集と分析、判断、結論の一連のプロセスにおいて、劣化した人間の思考は人工知能の下部構造にしかなれない。

 

知識ではなく、直観を含む統合認識力の必要性。

科学技術を中心とするグローバル資本主義社会で、情報すらもバブルのような消費物と化していることの問題を、改めて考えていかないといけない気がしています。 

blog.kanjutsu.net

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