観術総合研究所 - 代表・内海昭徳(うつみあきのり)-

ひとり一人の尊厳性と可能性が花開く、尊厳社会へ

サンバーナディーノの悲劇とオバマ大統領の演説 自由の国から尊厳の国へ

昨日夜、カリフォルニアのサンバーナディーノでの銃乱射を受けて、事件を「テロ」と規定したオバマ大統領による13分程度の国民向け演説がありました。

 

夜20時から、大統領の演説がある、とテレビで事前に報道があり、なるほどアメリカではこういう政治文化があるのかと、リアルタイムで目にすることができました。

 

ホワイトハウスの執務室であるオーバル•オフィスからの直接演説は、国家的重大事に限られるとのこと。

 

今回のサンバーナディーノの事件が、アメリカの対テロ対策にとって非常に大きなエポックであったことを物語っています。

2001年の9•11テロのときに当時のブッシュ大統領もここから演説したそうです。

 

亡くなられた14名の方々と、実行犯の夫婦2人。

 

演説の中で大統領は、進化するテロの脅威が「新段階」に入ったと言いました。

 

今までは、アルカイダなど組織的なテロ集団による大規模攻撃だったのが、過激思想に染まった個人による、より単純な攻撃に入ったと。

 

サンバーナディーノの事件をそういう形でテロと規定するなら、そうなるでしょう。

 

しかしこれは、「テロ」の脅威のさらなる蔓延と頻発可能性を意味するものでもあるのではないでしょうか。

テロの撲滅の実現など、はるか向こうへ遠のいてしまいます。

 

訓練を受けたテロ集団による大規模攻撃は、当局による事前の特定や監視、対応もそれなりに機能するのでしょう。

 

でも、ネットでISに忠誠を誓うレベルの銃を所持した個人の犯罪としてのテロは、これはもはや対応しようがないのではないでしょうか。

 

もし出来るとしたら、完全に個人の思想信条を管理して、莫大な情報セキュリティで全ての個人のPCを管理することかもしれません。

しかしそんなことは不可能ですし、かりそめにも「自由の国」であってはならない全体主義体制でしょう。

 

であれば当然、銃規制というテーマが鮮明化されていきますし、演説でそれにも触れています。

 

しかし、アメリカ社会における銃の所持の自由というのは、どうも日本人の感覚ではほとんど理解不能なほどに議論の分かれる、大問題のようなのです。

 

日本人からすれば、個人が自由に銃を所持できて、各家庭に置いてあるような状態はまったく考えられません。

 

物騒だから早くなくせばいいのに、というのが日本人の素朴な感覚だと思いますが、そんなカンタンな話ではないようです。

銃に関するアメリカ人のメンタリティ、そこにある集団クラウドがどんなものなのかは、これから深く理解して行きたいテーマ。

 

ともあれ銃規制論争が本格化されたら、またしてもオバマのアメリカは国民間の分裂の種を増やすことになります。

 

一般的なムスリムとの友好関係にもしっかり言及はしながらも、ISへの対応については新しい道が見出せず、国内の個人テロという、より複雑で不確定な脅威がセッティングされてしまった超大国アメリカ。

 

この国は、いったいどの方向に行ってしまうのだろうと思わざるを得ません。

そしてその国の中で、テロに巻き込まれて命を落とす人々や家族の悲しみがあります。

 

自由の国、アメリカが直面する、解決不能に見える根深い国難。

アメリカの歴史や政治の裏をみればいろいろ批判、批評はできるでしょうけれど、そうこうしているうちにも、今日もシリアで、中東で、あるいは世界のどこかで「テロの時代」の犠牲者が生まれている。

 

アメリカの掲げる自由が、21世紀の世界の繁栄と平和をもたらす力を喪失してしまっていることは、隠しようのない事実でしょう。

 

アメリカの痛み、アメリカ国民の痛みを癒していける、新しい世界秩序の旗ふり役が必要です。

 

日本が、アメリカの下部構造としてではなく、全てを抱擁できる尊厳の国として、時代の苦しみにチャレンジして行けるようにしたいものです。

 

自由の国アメリカから、尊厳の国日本へ。

世界が共有できる新たな理念と方策が、求められているのではないでしょうか。

切実にそう思った、オバマ大統領の演説でした。

 

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